柔道整復師と鍼灸師の国家資格を持ち、知識も技術もついてきた。
ある程度の自信もつけて、院長としても板についてきたとある日のこと。
突然、一本の電話が整骨院にかかってきた。
実家の父からだ。
携帯電話ではなく、わざわざ整骨院に?施術中ではあったが、さすがに急用であろうと電話に出ると…
『ばぁちゃん、死んでまったわ』
少し弱った父の声も、そしてあまりに突然過ぎた祖母の死への驚きも、今でもその瞬間を鮮明に覚えている。
大好きだった祖母が、僕が治療家を志すきっかけとなった祖母が、まさかの他界。
その日の施術を終えて、即、岐阜県海津市の実家へ帰省。。。
あまりのショックで、その後の僕は仕事が手につかなくなっていた。
情けない話ではありますが、そこから僕は以前のような活力が戻らず、3ヶ月ほど経って退職させてもらったのです。
「独立するためにやめた」とカッコよく言えないところが恥ずかしいところです。
そこから僕は実家に戻り、最低限の仕事をするため、
“出張専門かとうの治療”
という形で、事業をほそぼそと開始した。
親戚が経営していた喫茶店で、ばぁちゃんの思い出に浸りながら、そこのお客さんを中心に施術を行っていた。
施術をさせて頂きながら、亡き祖母への皆さんからの惜しむ声。あらゆる武勇伝も聞かせて頂いた。
半年が経つ頃に、ふとした瞬間衝撃的な事が…
亡きはずの祖母から怒られるような感覚に襲われたのです。
「あんたいつまでも、メソメソしとるんやない!しっかりせぇ。子どもか!?」
頭を打ち砕かれるほどの衝撃に、一瞬フリーズしました。
その直後から、僕は急にスイッチが入り
住むところを兼ねて、施術ができる賃貸を探し始め、導かれるように1ヶ月もしないうちに、開業準備を整えた。
それが、以前の“かとうの鍼灸整骨院”です。
多くの方に支えていただき、また亡きばぁに叱咤激励をされて、開業した整骨院は、気づけばいつも超満員の人で賑わうところに成長していました。
治療家として、立派に成長していく姿を祖母に見守られながら、仕事に勉学に励みまして、約3年。がむしゃらに働きました。
そんな頃、整骨院業界は、もう健康保険の取り扱いがとても厳しくなり、経営を圧迫しはじめました。
今では当然の施策であったと思いますが、まだまだ保険での施術をメインでやっていた頃ですから、その切り替えが難しく苦戦しましたね。
右往左往しながら、自費施術への移行をどのようにしていくか、悩みながら少しずつシフトしていった。
最終的には、交通事故の施術のみ保険の適用という形で、自費のみで施術するスタイルにしました。
自費で提供するとなると、もちろん技術力もどんどん磨く必要があった。
「今までの技術や知識だけでは足りない」と感じて、あれもこれも学び始めた。結局多くを学びすぎて、自分のスタイルを見失う事に…
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ここから僕は人生の大きく誤った方向へと進みます